2016年02月18日

【動画】支那事変とは何か 開戦前


1995年のヴェノナ文書公開以降、米国側の開戦事情(ルーズベルト政権)や日本側の開戦事情(近衛内閣)に果たした共産主義者の謀略については、単なるトンデモ説以上のものがあるということが、ようやく大っぴらに語られるようになってきました。
もちろん、謀略の対象になったのは、日米のみならず、蒋介石・中華民国も同じだったでしょう。

日本側の近衛文麿の大罪についてはこちらで概観しましたので、次は支那事変の交戦相手国・中華民国サイドの事情を見ておきましょう。
焦点になるのは蒋介石の「転向(≒スターリンの傀儡となること)」をもたらした、西安事件です。



動画概要:
2010/02/18 にアップロード
この戦争の真のカギである西安事件の前後事情を解説する

戦争には相手が必要です。
近衛やゾルゲや尾崎がいかに奮闘しようと、そもそも蒋介石が支那事変を「開始」さえしなければ、事変も「拡大」のしようがなかったでしょう。
そんなことは、あの大戦の黒幕・スターリンには、事前に、わかりきったことだったはずです。
独ソ戦にそなえて、後背を脅かされないよう、日本の目を他方面へ向けさせるためには、「誰か」に対日戦争を仕掛けさせなければなりませんでした。

白羽の矢がたったのが、蒋介石です。

かつては日本に留学もし、共産党と内戦していたはずの蒋介石が、ついに上海事変という対日全面戦争を仕掛けてくるにいたる「転向」をもたらした、そもそもの始まりが、動画で語られる西安事件(≒共産党による蒋の拘束・脅迫)だったようです。
この事件の黒幕がスターリンだとすれば、共産主義者(との疑惑濃厚な)近衛文麿による支那事変拡大の努力、蒋介石・宋美齢の対米ロビー活動、ルーズベルト政権の「裏口からの参戦」などなど、このあと各国で巻き起こる謀略的な動きが、一連の流れとして整理しやすくなるように思います。

チャーチルやウェデマイヤーは戦後の回想録であの大戦の勝者はスターリンだと遅まきに看破しましたが、日米中三ヵ国すべての中枢を自由にコントロールできたのだとすれば、事の推移がスターリンの思うままになるのはけだし当然です。
まず蒋介石をして日本に全面戦争を仕掛けさせ、
近衛文麿に和平の機会を悉く潰させて戦線を拡大させ、
ゾルゲグループに「南進論」を煽りにあおらせ、
日本がそれを実行すると、
ルーズベルト政権に対日強硬策を次々に打ち出させ、最終的にはハリー・D・ホワイトに二つの「ハル・ノート」を用意させ、日本に突きつけさせる……というわけで、
畢竟するところ、支那事変が勃発し、拡大し、大東亜戦争が始まった理由は、日本・中華民国・米国、すべての中枢が共産主義者に乗っ取られ、ソ連工作員の浸透を受けていたためではなかったでしょうか。

スターリンに操られた三か国の首脳のなかで、確信犯的売国奴・近衛文麿は積極的にスターリンに協力し、自らが復活させたオレンジ計画の「実行」や戦後覇権の誘惑に釣られたルーズヴェルトは簡単に騙された愚者にすぎなかったかもしれません。
しかし、唯一、蒋介石だけは、直接、脅迫され、生命の危険にさらされていたのですから、スターリンの邪悪さを最もよく知っている人物だったのではないでしょうか。
そう考えてみると、石原莞爾の和平仲介を受け入れかけたり(潰したのは近衛のほう)、大戦末期に繆斌工作を試みたり、と、蒋の行動の一部には、日本に助けを求めるような心理がはたらいていたようにも見えなくはありません。
(実際、後の金門島の戦いでは、白団・根元中将が蒋介石を助けてやることになりました)。

むろん、だからといって、我が身可愛さのあまりあの大戦争の口火を切ったあげく、南京事件捏造加担、二・二八事件、白色テロなどの罪を重ね続けた蒋介石を擁護する余地は一片たりともありません。
自力で状況を打開しようとするわけでもなく、甘い汁が吸えそうなかぎりは、強者(スターリン)に媚びへつらうというのが、蒋介石の小狡さでしょう。
戦後の「以徳報怨」という嘘八百の美辞麗句も、後ろ盾を作っておきたいという計算づくの猿芝居だったのではないかとも思われます。
近衛が共産売国奴であり、ルーズベルトが愚かな権力亡者だったとすれば、蒋介石はさしずめ、強きに媚びて弱きをくじく、自力では何もできない、正々堂々の戦いが何より嫌いな俗物であり卑怯者、というところが妥当な評価なのかもしれません。

近代「中国」はことあるごとに安直な「反日」を煽って目先の利を貪ろうとしてきましたが、それがソ連の浸透に格好の下地を与え、引っ込みがつかなくなったあげく、長い目で見ればかえって身を亡ぼしたとすれば……大陸の指導者は、国民党・共産党の区別を問わず、今も昔も同じ愚劣をくりかえしているのかもしれません。

あと一点。

こちらで述べたように、元々、蒋介石の軍事顧問はドイツのゼークトでした。
日独が同盟を結び、ゼークトはさすがに支那事変前には帰国していますが、そのあとの蒋介石の対日侵略戦争は、「ゼークト・ライン」を頼みに実行されます。
支那事変というのは、ドイツの準備をソ連が使って、日本に挑んできた戦争だった、という言い方もできるかもしれません。

露仏同盟に怯えたドイツがロシアをけしかけた日露戦争
四国協商に怯えたドイツがシュリーフェンプランの妄想を実行に移して勃発した第一次大戦
ドイツとロシアがからむと、全世界的にロクなことがない、という法則は、支那事変・大東亜戦争・第二次欧州大戦においても、やはり、不変だったのではないでしょうか。
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posted by 蘇芳 at 01:39|  L 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする