2016年02月11日

【動画】神武天皇のお話1


ギリシア神話には、山頂の高いところに天の神(ゼウス)が、地の底に冥界の神(ハデス)が、海には海洋神(ポセイドン)がいます。この構造自体は、一見すると、記紀の世界によく似ているように見えます。
しかし、ギリシア神話において、三柱の神々が最初から兄弟=血縁関係を持つのに対して、記紀の物語においては必ずしもそうではないようです。
伊邪那美命がお隠れになったとき、黄泉の国にはすでに「王」がいました。天照大御神がお生まれになる以前のことです。その後、素戔嗚尊が根の国の王として登場するのは、出雲神話の時代になってからです。
残る海洋神についても、神産みの段で伊弉諾尊によって大綿津見神が生まれていますので、三貴子とも兄弟姉妹関係と言って言えないことはありませんが、物語的な展開から言えば、先行する血縁関係よりはむしろ、海幸彦山幸彦の段において改めて結ばれる「姻戚関係」こそが印象に残るように思います。
固定的なギリシア神話とは違って、記紀において、天や地や海の神々の世界は、関係を変化、発展させていっているように見えるのです。
そして、その変化・発展の末に産み出されたのが、神武天皇であり、ひいては「日本」だったのではないでしょうか。


記紀の宇宙観は三層構造だ、と、言われることがあります。
上から順に、
高天原、
中つ国、
根の国(底の国)、
という、わかりやすい図式です。
もちろん、これはこれで正しいのでしょうが……
しかし、天の高いところに神の国があり、地の底に死者の国があるという垂直的な世界観は、あくまで、天にそびえる樹木(森林)や山岳に縁の深い信仰であるようにも思えます。

これに対して、上の動画で神武天皇の母・玉依姫が「海神の娘」と紹介されているとおり、記紀にはもう一つ別の「神の国」が登場します。
垂直軸の三層構造からなる宇宙観とは違って、水平方向の海のかなたへと神の国を投射する信仰は、沖縄のニライカナイ信仰をはじめ、南方海洋民族の神話に広く見られる形態ではないでしょうか。

記紀において、最初に海神の姫・豊玉姫を娶るのが、海幸彦ではなく弟の「山」幸彦であることは、示唆的であるように思います。
山と海、異なる信仰を持つ民族がここで出会い、やがてその結晶として神武天皇がお生まれになった、とも、言えるように感じられるからです。

そして、異なる民族の共存と同化、ということは、つまり神武天皇とは、後に天皇ご自身が宣言される「八紘為宇(八紘一宇)」の精神を、身をもって体現される御存在でもあるのではないでしょうか?

八紘=数多の民族を、
一宇=一つの家族に、
為す=する、という……
つまるところ、これは、世界でも最も古い「国民国家」樹立宣言の一つではないでしょうか。

現代の多民族国家の例をあげるまでもなく、そもそも「民族」と「国民」とは根本的に別の概念です。
熊襲であろうと隼人であろうと夷であろうと狄であろうと、大陸や半島からの帰化人であろうと、「国民」としてのアイデンティティを同じくするなら、皆同じ「日本人」である、という……これこそまさに多民族からなる国民国家の理念ではないでしょうか。
しかも、現代の多民族国家においては、しばしばエスニックアイデンティティがナショナルアイデンティティを上回り、分裂・内乱の危機を招来しますが、日本の歴史においては、ナショナルアイデンティティこそが圧倒的に優越し、本来異なる信仰を持っていたはずの異民族相互が、あたかも最初から単一民族であったかのように見えるまでに「同化」されていったのですから、驚くべきでしょう。

日本こそは「国民国家」建国の著しい成功例であり、「日本人」の誕生そのものが、誇るに足る偉業であるように思えます。
神武天皇の「神話性」や「非実在」などをあげつらう前に、日本人なら、何よりもまず、父祖の語り継いできたこの「精神」にこそ注目すべきではないでしょうか。
何となれば、「同化」こそは、「差別」の対極にある概念に他ならないのですから。

八紘為宇。
八紘一宇。

それは、あるいは、現代の人権意識とやらに照らしてみても、素晴らしいことでありうるのではないでしょうか?

それほどの「同化」を可能にしたものこそ、「和」を貴ぶ日本の精神性であり、その理念を凝集したスローガンこそは「八紘為宇(八紘一宇)」だったのだとすれば、私たちは、悪意の嘘宣伝に惑わされることなく、この崇高な日本の「こころ」を守り、取り戻していかなければならないはずだと思うのです。
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追記:
ちなみに、「神武創業の昔に返る」ことを標榜し、王政復古を唱えた明治政府によって達成された、「八紘為宇(八紘一宇)」の最も顕著な成果のひとつは、個人的には、台湾統治だったのではないかと思います。
中華民国・国民党政権のプロパガンダによって、原住民(※これは差別語ではなく彼ら自身による誇り高い自称です)は日本政府と戦って征服されたことになっているようですし、いくつかの部族が抵抗したことは事実です。
しかし、平和裏に日本統治を受け入れた部族もありましたし、そもそも最後まで日本に敵対した部族も、あくまで自分たち部族のために戦ったのであって、別に「台湾のため」に戦ったわけではないのではないでしょうか。
何となれば、清国によって「化外の地」とされ、まともな統一政府・統治機構を持たなかった台湾の諸部族にとって、アミ族やルカイ族やセデック族といったエスニックアイデンティティこそあれ、「台湾人」などというナショナルアイデンティティは萌芽としてさえ存在していたかどうか疑わしいのですから。
中には敵対関係にある部族もあり、敵部族を倒すために日本に協力したという部族も、あったといいます。
それらいくつものバラバラなエスニックグループを、日本は(神武東征のときと同じく)まずは「言向け和し」、それでも武をもって敵対する者に対しては、やむをえず武力をもって鎮圧にあたり、同じ一つの「国民」として、まとめあげていったのではなかったでしょうか。
その結果たるやいかに?
大東亜戦争における、高砂義勇隊の活躍は、誰しも知るところでしょう。そもそも、大戦初期には、軍人になる道が閉ざされているという「差別」に憤り、大戦後半にようやく志願が可能になったとき、定員の何倍もの志願者が殺到したという、日本統治時代の歴史が、当時の「台湾の日本人」のアイデンティティの在処を何よりも明快に指し示しているはずです。
その後、日本の敗北、中華民国による占領・虐殺・弾圧・圧政を経て、台湾においては、あらためて「新台湾」のアイデンティティが形成されていったように見えます。
日本はかつて台湾人を「日本人」にすることに成功した、
しかし中華民国は彼らを「中国人」にすることに決して成功することはなかった……、
李登輝氏の第一次民主革命はもちろん、先だっての太陽花学生運動を経て、台湾人はいよいよ「台湾人」になりつつあるようです。
なぜ台湾にそれが可能だったのか、といえば、かつて日本が台湾にもたらしたさまざまな文物の核心に「国民国家」の概念、すなわち「八紘為宇」の精神があったからであり、そこには「易姓革命」の歴代支那王朝と「万世一系」の日本帝国との、決定的な「国家観」「国民観」の違いが見て取れるのだ、と言っても、言いすぎではないように思えるのです。
とすれば、現在の台湾の民主化運動が、映画「KANO~1931 海の向こうの甲子園~ [DVD]」や「湾生回家」をはじめとする「懐日ブーム」を伴っていることの背景には、彼らが、単純な日本回帰ではなく、「日本」の記憶と結びついた「国民国家」をこそ欣求しているという事情が、あるのではないでしょうか?
東洋経済:今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか
彼らが日本の「こころ」に範をとって力強く自らの道を切り開いてゆくのなら、そこは誤解しないようにすべきですし、また、日本を「取り戻す」にあたって、彼らの志を、今度は私たちのほうこそが見習うこともできるようにも思います。
posted by 蘇芳 at 02:34| 「日本書紀」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする