2016年02月05日

【動画】万世一系の皇位継承 男系継承の重み

    

こちらで見た通り、事実において、皇室は万世一系の血統です。
そしてそれは、あくまで男系の血統における「一系」であり、女系の血筋においてではありません。
「皇族」とは最初から男系の血統によってのみ定義されうる御家系なのです。
これは良いだの悪いだのフェミニズムだのが容喙する余地のない、判断以前の「事実」です。
女系の血筋をもって皇統を定義しようとするあらゆる試みは、すべて、例外なく、皇室の否定であり破壊の企て以外の何物でもありません。

正々堂々、正面切って、皇室の破壊を主張する売国奴がいるなら、それはそれで「思想信条の自由」かもしれません。しかし、「女系天皇」をもって「伝統」を「保守」すると主張することは、純然たる背理であり、デマにすぎません。「思想信条の自由」以前の、単なる「虚偽」というべきでしょう。

皇位継承、皇室典範に関する議論は、必ず、「皇統は“男系血統において”万世一系である」という、歴史的・生物学的事実を踏まえたうえでなされなければなりません。
なぜなら事実において実行されてきた伝統こそが、法源たるコモン・ローなのですから。



天皇には苗字がありません。
したがって、養子をとって「家名」を継がせるというしきたりもありません。
最初から「家名」など無い≒必要とされないのが、天皇であらせられるのですから、当然です。

皇位継承の原理と、武家の相続制度は、まったく異なるものです。
皇位継承の根拠は「血統」ですが、武家の相続制度の焦点は「家」であり、むしろ「家名」にこそあります。
似非保守の詐欺に騙されないためには、この差異を理解しておくことも重要であるように思います。

「サムライ」の語源は、動詞の「さぶらふ」である、と(俗説かもしれませんが)言われています。
そこに「いる」「控えている」「お仕えする」という意味の謙譲語です。
いつでも主君のお役に立てるようにお側に控えている存在――武士のアイデンティティは「家来であること」そのものであり、これが武家が「家名」を持ち、「家名」に重大な価値を見出す根本の理由ではないでしょうか。

なぜなら、本来「名」とは主君から与えられるものです。

氏姓制度はもちろん、何なら「お前は今日から私の家来になったのだから、今後は何の誰某と名乗るがよい」という、歴史物のドラマでありそうな場面を思い浮かべてみれば、わかりやすいでしょうか。
こちらでふれた中臣鎌足は功績をあげて藤原の姓を「賜っ」たのですし、こちらでふれた和気清麻呂は道鏡に惑わされた称徳天皇の逆鱗に触れ「穢麻呂」と、(光仁天皇に名誉回復していただくまでの一時期)、名を改めさせられたのでした。
臣下・家来に「名」を与えたり変えたりするのは、基本的に主君の役割であり、臣下が自分の意志で名を改める場合は、原則、主君の許可を必要とするでしょう。
したがって、裏を返せば、誰の家来でもない、主君の中の主君、日本国すべてをしろしめす大君であらせられる天皇には、「家名」や「苗字」はない。必要もないし、あってはならないことになります。

「家名」を持つとは「家来である」こと。
これを換言すれば「家名」とはその名を与えてくれた主君の家来であるということの“証明”=“身分証明書”のようなものでもあります。
そして、誰かの家来であるということは、その誰かから俸禄・家禄・恩賞を与えられる、ということでもあります。

では、万一、子孫が絶えてこの「家」が断絶したとすれば、どうなるでしょうか?
主君にしてみれば俸禄を与えるべき相手が消滅することを意味します。
それはつまり、家来の側の係累にとっては、収入の途絶を意味します。
家来には、家来の家来(家の子・郎党)もいるでしょう。
「家」の断絶は、その全員がたちまちにして路頭に迷うことをも意味してしまいます。

これが、血統の継承よりも「家」の存続を優先する、武家の相続システムの経済的根拠の一つではないでしょうか。
家の子郎党すべての生活がかかっているのですから、血統だの何だのにこだわっている場合ではない、婿でも養子でも迎えてとにかく「家名」を継がせろということになります。

もちろん、養子を迎えるにあたっては、その養子の家格や血統が問題になる場合もあり、また、武家にあっては縁組とは同盟関係をも意味する場合が多々ありますので、あまり家来が力をつけすぎるのは反逆のおそれが生じるという主君側の懸念もあり………武家の制度はそれはそれとして複雑化していくわけですが、その複雑さは皇位継承システムの複雑さとは質的にまったく異なるものであり、完全に無関係です。

皇室が苗字を持つ家臣を武家的な意味で「養子」に迎えたことは一度もありません。
皇室にとって、守るべきは(最初から存在すらしない)「家名」などではなく、現実的な「血統」なのですから、当然です(ちなみに皇族に下賜される「宮家名」「宮号」は便宜的に苗字の代用とされがちですが、あくまで「代用」であり、臣下の苗字・家名とは原理的には別物です。男系男子継承者が絶えれば、その宮家は、養子縁組のような悪あがきをすることなく、静かに消滅していくことになります)。
皇室の歴史上に登場する“養子”“猶子”の語は、単に実子同様に扱うという精神的紐帯の意味であり、それ以上の意味を持ちませんし、そもそも当の“猶子”自身が最初から皇族でした。
(ちなみに“猶子”は論語の「回や、予を視ること猶父のごとくす。予は視ること猶子のごとくするをえず」からきているそうで、「ごとく」とあるように、つまるところ単なる比喩表現です)

皇族における「養子縁組」の実例は、明治時代の13年間に行われた「皇族間養子」があるのみです。
2000年の伝統におけるわずか13年間の例外中の例外ですが、あくまで皇族間に限って行われた養子であり、皇統の紊乱は起きていません。
苗字を持つ臣下の男子、神武天皇とは無関係なy染色体を持つ男子が、皇族に迎え入れられた事実は、2000年以上に及ぶ皇室の歴史上、ただの一例も存在しません。
そしてこの「皇族間養子」さえもまもなく制定された(旧)皇室典範によって直ちに禁止されています。
皇位は、神武天皇の男系の子孫たる男子によってのみ継承されうるし、されなければならない……
旧典範を制定した井上毅たちは、これが皇位継承のコモン・ローであることを、よく理解していたと言うべきでしょう。
皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉
悠仁天皇と皇室典範
皇室消滅
女性天皇は皇室廃絶―男系男子天皇を、奉戴せよ
語られなかった 皇族たちの真実 (小学館文庫)
皇族の「公(おおやけ)」と「私(わたくし)」
皇室と日本人―寛仁親王殿下お伺い申し上げます
永遠の皇室を仰いで―宮中祭祀、御製、行幸 今上天皇のご公務と大御心
追記:
もちろん、歴史上「女性天皇」が即位された例はあります。
推古、皇極・斉明、持統、元明、元正、孝謙・称徳、明正、後桜町……
以上、八方十代です。
しかし、それら過去の女帝の御即位は、男系男子継承の原理に従い、皇統を護持するためにこそ行われた緊急避難措置であって、皇統断絶を目論む反日勢力の謀略とは完全に根本を異にしています。
「女性天皇」が決して「女系天皇≒臣下の子孫による新王朝の創始」を結果しないための、いくつもの条件・制約がそこには設定されていました。
コモン・ロー思想に依拠するなら、そのような過去の歴史に温ねてこそ、あるべき「法」の「発見」が可能になるはずです。
この「万世一系の皇位継承」シリーズの動画には、八方十代すべての即位事情についての解説がUPされているようですので、順次、閲覧していきたいと思います。
posted by 蘇芳 at 01:55|  L 「万世一系の皇位継承」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする