2016年02月02日

【読書】鈴木荘一「日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇」

  

本の感想です。
タイトルだけ見ると反米ナショナリズムを煽る単細胞民族派の著書かと誤解してしまいそうですが、オレンジ計画を空洞化させた大正という時代の叡知(とそれを台無しにした「アジア主義」の台頭)について書かれた良書でした。

日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇―東京裁判史観からの脱却を、今こそ!

日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇 [ 鈴木荘一 ]

オレンジ計画については、「アメリカは侵略者」と告発する向きや、「沢山ある計画の中の1つにすぎない。万一不幸にして開戦が避けられなかった場合に備えてシュミレーションしておくのは当然」と過小評価する向きをよく見かけますが、本書はそのどちらでもあり、どちらでもなし。両極端な見解を一本の筋道にまとめ上げる、説得力のある理解を提供しています。

オレンジ計画が凶暴な侵略計画だったこと自体は、否定のしようもない事実であると思います。
そもそも当時はこちらで考察したように、日露戦争の輝かしい勝利が、欧米各国に対日恐怖をもたらし、人種差別と反日プロパガンダがそれに拍車をかけていた時代でした。
ホワイト艦隊派遣の真意が日本に対する恫喝であり、米国がその恫喝によって日本を黙らせたかった問題が、排日移民法問題≒米国側の一方的な日本人差別だったことも、思いだしておくべきでしょう。
「マニフェストディスティニー」が、支那大陸の権益を求める米国の侵略的「欲望」と、それを正当化する人種差別的「道徳」によって構成されていたことを、忘れることはできません。

本書に言わせると、オレンジ計画は、あまりに一方的な「侵略」計画であるがゆえに、米国自身が、合理的な「理由」「大義」を発見できなかったほどだそうです。
ならば潔く諦めればいいものを、何としても日本を侵略したい彼らは、「理由」「大義」として「黄禍論」=人種差別を持ちだした、とも、本書は言います。
これが米国の、白人の(少なくとも当時の)「本質」であり「正体」だったことは、決して忘れてはならない「事実」であるはずです。

また、オレンジ計画を過小評価したがる向きが云々する他国との戦争を想定した「レッド」「グリーン」「ブラック」などの計画については、米国人自身の次の発言を引用するだけで、オレンジ計画の特異的狂信性が理解できるでしょう。
「(現在行われている第一次世界大戦で)アメリカが船舶や人命の痛ましい損失に苦しんでいるのは、アメリカ艦隊の行動準備が出来ておらず、ドイツを仮想敵とした『ブラック計画』が、『カリブ海におけるドイツ艦隊との海上決戦』という、『いい加減で馬鹿げたもの』だったからである」
「アメリカ海軍が、アメリカの安全保障に直結するドイツやロシアという帝国主義国家との戦争計画である『ブラック計画』や『パープル計画』をないがしろにして、緊要性の低い『オレンジ計画』に熱中していた」
これは米海軍ヨーロッパ方面司令官シムズ大将の上院での発言だそうで、安全保障上の優先事項をないがしろにして、米国の安全保障に何ら寄与しない大義なき侵略計画に夢中になっていた、当時の米国の愚劣さが露呈しています。

したがって「沢山ある計画の中の1つにすぎない」としてオレンジ計画の侵略性を過小評価する立場は、ためにする愚論・詭弁の類であるとまずは言えるでしょう。
と同時に、「アメリカは侵略者」と単細胞に断定するのも性急です。というのも、上記引用に見る通り、少なくとも第一次世界大戦当時には、米国の理性的な一面は、オレンジ計画の不条理に気づいていたのですから。

上記引用内にある通り、米国が理性を取り戻したきっかけは、第一次世界大戦でした。
日本は日英同盟の下、連合国側で参戦、戦勝国となります。
英国の同盟国にして連合国の一員である日本を、同じく英国の同盟国にして連合国の一員である米国が、領土欲と人種差別にもとづく侵略計画の対象にしている、というのは、さすがに猿でもわかる不合理です。

それゆえ、本書によれば、米国はいったんはオレンジ計画を「凍結」し、連合国として正しくふるまうことを、一応、選択したのだとか。
日本は日英同盟にもとづく協調外交によってオレンジ計画を空洞化させることに成功した、と、とりあえずこの局面については言えそうです。

裏を返せば、後のFDR時代にオレンジ計画が復活し、その計画通りに日本が滅亡のふちへ追いやられた背景には、「英米本位ノ平和主義ヲ排ス」という、方針の転換があったと言えるのかもしれません。
少なくとも、本書はそう主張しているように読めます。
こちらこちらで述べた通り、「英米協調主義」か「アジア主義」かという二択の見地に立った場合、第一次大戦の成功と、大東亜戦争の失敗は、表裏一体の関係にあると言えそうです。

そもそも日本は、米国の海軍力と、ロシア・支那の陸軍力に腹背を脅かされる位置にあります。
帝国陸軍がロシア・ソ連を、帝国海軍が米国を、それぞれの仮想敵としたことには、地政学上は合理性があるといえなくもありません。

しかし、そのような「二正面作戦」には、そもそも無理があります。
こちらの冒頭で指摘したロシアやドイツの例を思いだしておくべきでしょう。
ロシアは元々、二正面作戦を極端に嫌う国ですし、ドイツが三国干渉を主導したのも、露仏同盟の「挟み撃ち」に怯え、二正面作戦を避けるためだったでしょう。また、そのありえない二正面作戦を「解決」しようとしたドイツのシュリーフェンプランは「妄想的」な計画にならざるをえなかったのです。

別の言い方をすると、自国の二正面作戦を回避すると同時に、敵国には二正面作戦を強いる、ということができれば、戦争は大いに有利に展開させうるのでしょう。
実際、大東亜戦争において、ソ連は日独との二正面作戦を避けるために謀略を駆使して日本を南進させ(ゾルゲ事件)、日独を挟撃するために謀略をもって米国を戦線に引きずりこみました(ヴェノナ文書・真珠湾工作)。

結局のところ、「挟み撃ち」の憂き目こそ、国家にとっての悪夢。
とすれば、大陸と太平洋に挟まれた日本は、二正面作戦を避けるためには、大陸と海洋、どちらかの勢力とは協調・同盟せざるをえないことになります。
それこそが明治以来現代にまでつづいている日本の安全保障上の課題なのかもしれません。
親米派・親中派というシンプルな色分けにも、それはあらわれているのではないでしょうか。

本書によれば、大正時代においても、
「日英同盟を基軸にした英米協調外交」を目指し、実現した、大正天皇、大隈重信、加藤高明、
「黄色人種連合による白色人種への対抗」を目指し、第一次大戦勝利の果実を台無しにした山県有朋、原敬、高橋是清等々、
といった路線対立があったといいます。

結果から見れば日本にとってどちらが正解だったかは一目瞭然でしょう。
「黄色人種連合」の主要パートナーとして想定されていた支那・中華民国が、頼むに足る相手であれば、アジア主義も、よかったのかもしれません。しかし、福沢諭吉がとうの昔に看破していたとおり、支那・朝鮮は、日本の「不幸」以外の何物でもありません。

そもそも当時の支那大陸は、まともな統一政権の無い群雄割拠の暗黒時代で、「黄色人種連合」など、実現可能性のカケラもない妄想にすぎないはずでした。
しかしながら、(本書に言わせると長州閥内部からも「耄碌」を指摘されていたという)山県有朋と、我田引鉄の政治屋・原敬が手を組んだことで、大戦中に、このアジア主義勢力が政争に勝利。大隈内閣・加藤内閣の「功績」を台無しにしてしまった、というのが、本書の描き出す「歴史」です。

戦後自虐史観では「悪名」高いシベリア出兵も、裏切ってドイツ側に加担したロシア(ソ連)を牽制するため、英国の要請によって行われた正当な軍事行動であり、大隈・加藤の目の黒いうちは、米国との協調がはたされていた、と本書は言います。
それを「悪用」したのは、山縣有朋のアジア主義的妄想の実現を企図した、後継の原内閣・高橋内閣だったとか。
そうして、彼ら「アジア主義」勢力は、連合国への「貢献」が一転、領土的野心を疑われるという外交的失態を犯したうえ、支那大陸の内紛に深入りし、泥沼にはまったあげく、最終的には日英同盟破棄という最悪手へと日本を導いてゆくことになるのだそうです。

もっとも、個人的には、日英同盟の破棄については、日本側だけでなく、ウィルソン主義の妄想性という米国の責任も考慮しなければ、妥当性を欠くようにも思います。
そもそも、白色人種の人種差別という現実には、それ以前にさかのぼる、長い長い前史があったのですから、日本において、「アジア主義」の理想が常に一定以上の支持を集め続けたこと自体は、避けようがなかったようにも思えます。
こちらこちらですでに述べた通り、「日英同盟」と「有色人種の盟主」という二つの立場に引き裂かれていた日本にとって、欧米側の態度が変わらなければ、早晩、決裂は避けられなかったのではないでしょうか?
(ちなみに第一次大戦当時、英国の依頼で太平洋の安全保障を引き受けたのは日本ですが、英領オーストラリアは、その帝国海軍の巡洋艦矢矧に対して、砲撃を加えてきた、という史実があります💢)

それとも、本書の言う通り、大隈・加藤の「英米協調主義」路線を選択しつづけることができていれば、欧米の人種差別主義者たちも、いつかは「わかってくれる」ということも、あるいは、ありえたのでしょうか?
当時の白色人種国家の傲慢さを思えば、さすがにそこまで楽観することは、私には難しいですが……

いずれにせよ、こちらで考えた通り、このときに選択された「アジア主義」こそが、やがて、共産主義者の謀略に格好の素材を提供し、利用されていくことになるとすれば、話は大東亜戦争へもつながります。
第一次世界大戦は、一般の想像以上に、近代日本にとっての重要な「転機」だったのではないでしょうか。
にもかかわらず、世上、(日露戦争や大東亜戦争、明治や昭和については、自虐史観脱却の気運とともに語られる機会も増えてきましたが)、第一次大戦、大正時代については、まだまだ圧倒的に言論が不足しているような気がします。
そして、戦後日本において、歴史が「語られない」ということの裏には、「知られたくない」という反日勢力の意図が働いてはいないでしょうか?
なんとなれば、そもそも、その「共産主義」による国家建設の最初の事例≒ロシア革命は、まさにこの第一次世界大戦の最中の出来事だったのですから……

彼らは第一次大戦の、大正の御代の、何を隠蔽し、歪曲し、捏造してきたのか?

大東亜戦争の「敗北」だけでなく、第一次大戦の「勝利」の歴史を検討しておくこともまた、現在進行中の反日勢力の侵略的意図をくじき、「日本を取り戻す」ために、必要な作業であるように思えるのです。

英米協調主義の政治的妥当性を強調するあまり、人種差別という壁に阻まれたその困難性(不可能性?)を過少に見積もりすぎているきらいが、なきにしもあらずかもしれませんが、無視されがちな大正という時代、とりわけ大隈・加藤の外交に焦点を当て、高く評価するという意味では、本書はその手がかりになりうるのではないでしょうか。
無視されがちな第一次大戦・大正時代を扱った数少ない書籍の中でも、とりわけ数少ない良書の一つではないかと思います。
日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇―東京裁判史観からの脱却を、今こそ!

日本征服を狙ったアメリカの「オレンジ計画」と大正天皇 [ 鈴木荘一 ]

追記:
かつての日英同盟にかわって、現代においては、日米同盟が、日本の安全保障の根幹になっていますが、その日米を離反させようとする悪質な反米・反日の謀略工作が盛んに行われていることは、日英同盟の時代と、何ら変わってはいません。
慰安婦や南京の捏造と、それを易々と信じこむ欧米の愚かさもまた、日露戦争以後のジャパンバッシングを彷彿とさせます。
当時のあからさまな人種差別と植民地主義の時代において、彼らに、日本の言葉に耳を傾けさせることはほとんど不可能だったかもしれません。
そのことこそが、最終的に、大東亜戦争を不可避なものとしたようにも思えます。
共産主義・ソ連という、共通の・真の敵を発見し、日米が同盟を結ぶには、白人の倨傲に鉄槌を与える一挙が、どうしても必要だったのかもしれません。
では、米国が「逆コース」を選択し、日米同盟が結ばれ、ソ連が崩壊した現在……プーチン・ロシアや共産支那の覇権主義・侵略・挑戦を前にして、なお、欧米はかつてと同じ反日プロパガンダを真に受け、真の敵を見失い続けるのでしょうか?
現在の一応の同盟国・米国がそこまで愚劣だとは、さすがに考えたくないのですが……
とすれば、かつて人種差別という壁に阻まれた「英米協調主義」の可能性は、今こそ、大隈や加藤が思い描いた正しい形で、実現されなければならないのではないでしょうか。
日本は、そのためにこそ、支那&朝鮮による歴史捏造・反日プロパガンダを、打破しなければならないように思えるのです。
posted by 蘇芳 at 02:17|  L 第一次世界大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする