2016年01月30日

【動画】「日本のこころ」 和 (わ)


「日本のこころ」シリーズ。



動画概要:
2013/07/02 に公開
天地の神々を尊ぶ国には、平和と調和を重んじる和の心があります。

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天津神・国津神の「国譲り」の神話に込められた、日本人の和の心

日本には古くより、「八百万(やおよろず)の神」と表現される様々な神々が、大切にお­­祀りされてきました。この八百万の神の中に、「天津神(あまつかみ)」と「国津神(­く­につかみ)」がおられます。天津神とは、天照大御神をはじめとする、高天原(たか­まの­はら)の神々のことです。国津神とは、葦原中津国(あしはらのなかつくに)、豊­葦原瑞­穂国(とよあしはらのみずほのくに)などと呼ばれた日本の国土に、古くから住­んでいた­神々のことです。
日本の神話には、天津神が中津国である日本を高天原のような素晴らしい国とするために­­、平和のうちに国土を国津神から譲り受け、天津神と国津神がともに協力して、豊かな­国­土を築いてゆく姿が描かれています。
天地(あめつち)の神々による国づくりの御事跡には、厳しい自然の中で国を拓き、暮ら­­しの基を築いてきた日本人の、平和を祈り調和を重んじる和の心が込められています。

「和」というと真っ先に思い浮かぶのは十七条憲法ですが、それは太子一人の単なる思いつきや発明というわけではなかったのではないでしょうか。
こちらでも書いた通り、それが「憲法」として受け入れられ、通用し、現代に至るまで語り継がれるほどの地位を獲得したということは、それが先行してすでに存在した不文の「法」に合致していたからにほかならないはずです。
「和」の精神は、法源としての慣習として、コモン・ローとして、何より、民族の「こころ」として、すでにこの国にあったのだろうと思います。
太子はあらためてそれを「成文化」されたのではなかったでしょうか。

人の世はもちろん、そもそも「古事記」「日本書紀」の神々の時代から、日本においては、何事も独断で決めることは少なく、数多くの「神議り」「神集ひ」の伝承が伝わっています。

国産みがはじめ成功しなかったとき、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱は天の神々に相談しておいでですし、相談を受けた神々もまた評議の上で結論を下し、二柱にアドバイスされています。
天岩戸の段における、天の安河での評議は言わずもがな。その後の素戔嗚尊の処分もまた、評議の上で決まったことです。
さらにその後の天孫降臨もまた、大祓詞によれば「八百万神等を神集へに集へ給ひ神議りに議り給ひ」たうえで、瓊瓊杵尊に勅命が下されるのです。

高天原のみならず、出雲の側でも、和を尊ぶ姿勢は同様です。
大国主命の国作りにも最初は少彦名神、次に大物主神、と、必ずパートナーがいて、独断ではなく相談しながら行われていますし、その後の国譲りにしても、やはり大国主命の独断ではなく、子の事代主神・建御名方神の意見を徴しています。
また、その国譲りにさいして、考古学的に武力行使の形跡が発見されていないことも、こちらで触れた通りです。
武力行使の前に、必ず、話し合いの機会が設けられ、戦わずして「和」が結ばれることこそが、最善であるとする思想は、出雲・大和を問わず(そもそも素戔嗚尊を介して両者は親戚筋ですが)、神代からの日本の「こころ」であったのでしょう。

この神代の出来事は、初代天皇の御代にも、同型のパターンをもって反復されています。
神武東征に先立っても、(天孫降臨のときと同様に)評議が行われていますし、東征の過程においても、武力行使の前にまずは「言向け」が行われ、戦わずして従った者たちも多くあった(≒「国譲り」が行われた)ことは、こちらで触れた通りです。

可能な限り争いを避け、何事も合意の上で推し進めることができれば、それが最善である、力の行使は次善の策にすぎない、という、「和」を尊ぶ態度は、神代の昔からあったとされてきたのではないでしょうか。

もう一度、大祓詞の天孫降臨を振り返っておけば、「国中に荒振神等をば神問はしに問はし給ひ神掃へに掃へ給ひて」とあり、敵を「掃う」前に、恭順を「問う」態度がやはり先行しているのです。
この物語が神道の代表的な祝詞として伝えられつづけてきたということは、この、天孫降臨にも国譲りにも神武東征にも共通して見られる「パターン」「類型」が、日本民族の精神構造にとってそれだけ重要な意味を持つ、いわば「祖型」である、ということを示唆しているように思えます。

むろん、現実問題としては、何事も会議、会議では物事がなかなか進捗しないこともあるでしょう。
こちらで述べたように聖武天皇は遷都に当たって百官にアンケートまでとっておいでで、そこはもう少しリーダーシップを発揮していただきたいような気はしますし、昭和天皇が藤田侍従長の前でお漏らしになった、民主主義国の立憲君主としてのお立場についてのご述懐には、開戦を避けえなかった陛下ご自身のご無念が込められていたことと思います。

しかしなお、それは日本に、皇室に、「和」の精神がありすぎるほどにあったことを示しこそすれ、そんなものは存在しなかっただの、はなはだしきは外国から与えてもらっただのという主張は、主張と呼ぶにも値しない、デマに等しいものではないでしょうか。

昭和天皇は、「人間宣言」なる偽りのレッテルを貼られている、いわゆる「昭和二十一年年頭の詔書」において、近代日本の民主主義の根源が「五箇条の御誓文」であったことを、御誓文全文を引用の上、明言しておいでになります。
「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。」— 昭和52年(1977年)8月23日記者会見
陛下のお言葉にあるように、この御誓文がその名の通り「御誓文」であり、「起請文」であり、天神地祇・天地神明にかけての「誓い」という神道的性格を帯びていることを、忘れることはできません。

和を以て貴しとなし、万機公論に決する精神は、神代から近代まで歴史を貫く、日本の「こころ」そのものであって、未曾有の大戦を経たからといって、忘れ去られて良いものであるはずがないのではないでしょうか。
もしも思想・言論を弾圧し、暴力を以て日本を屈従させ、奴隷状態に貶めんとする侵略者が存在するとするならば、日本国民はこの「こころ」を守るためにこそ、起たねばならないのかもしれません。
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posted by 蘇芳 at 01:11|  L 「日本のこころ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする