2016年01月27日

【動画】「日本のこころ」 杜 (もり)


「日本のこころ」シリーズ。



動画概要:
2013/04/15 に公開
神々の鎮まる聖なる森は、あらゆるものを潤し、いのちを育んできました。

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神々が鎮まる神聖なる場所「鎮守の杜(もり)」を大切にしてきた日本人

森は、生命の営みに欠かせない水を育み、様々な恵みを私たちに与えてくれます。
太古より森と共に生きてきた日本人は、樹木や岩、川や滝など、自然をめぐる営みに神々­の息吹を感じ、そこを聖なる空間として崇めてきました。神社のことを「お社(やしろ)­」とも呼びますが、この「やしろ」とは、もともとは神社の社殿のことではなく、祭礼期­間に臨時の祭壇や社殿を設け、神々をお迎えして祭祀を行う清浄な空間のことを意味しま­した。
つまり、「屋(や)代(しろ)」です。そこは聖なる森に囲まれ、清らかな石や砂が敷き­つめられたた空間でした。やがて穀倉などの建築技術が発達すると、常に神々が鎮まる社­殿の様式が整えられました。
まさに神社とは、聖なる森の中に神々の鎮まる「鎮守の杜」なのです。伊勢神宮の森は、­多種多様な樹木が生い茂り、清流・五十鈴川を育み、様々な生き物が生命のめぐりを営む­、森厳なる空気に満ちています。
あらゆるものを潤し、育み、甦らせる「いのちの源流」たる場所、それが、神々の森なの­です。

「平成25年秋 第62回 伊勢神宮式年遷宮」
http://www.sengu.info/

Present by 伊勢神宮 式年遷宮広報本部(制作2012年2月)

こちらでも述べた通り、神道はいわゆる「戒律」に類するものをほとんど持ちません。
2000年以上の歴史を持ちながら、「戒律」が作られなかったのは、日本人がそんなものを必要としなかったからだと考えざるをえないように思います。
なんとなれば、悪事を行う者がいるから、それを取り締まる法律が必要になるのであって、最初から悪事を行う者、行おうと思う者さえいないのなら、法律などそもそも必要とされないでしょうから。

もちろん、日本人のすべてが聖人君子であるなどというバカげたことはあるわけもありませんが…
それなら、(こと神聖さをめぐる領域において)、「戒律」ではない「何」が日本人を律してきたのか?

「戒律」のかわりに、神道にあるものといえば、「古事記」や「日本書紀」や「風土記」に記された物語だけです。
しかし「物語」には、当然、「テーマ」があるでしょう。
その「テーマ」、その「こころ」のなかには、最初から、人々の行動を正しく導く「何か」が内包されているのかもしれません。

たとえばこちらで述べた通り、人間が神によって「製造」された人形ではなく、「産み出さ」れた子孫であるという物語は、必然的に、人間が自由意志を持つ自律的な主体であるという観念を内包しますし、すべての人間が自律的な主体であるという観念は、必然的に、他者の主体性への配慮を要請するでしょう。
同様に、日本列島が、そこに生きる山川草木、動植物が、すべて伊邪那岐・伊邪那美の生殖行為によって出産された子供であるという物語は、自然界の神聖さを自明的に主張し、それらを尊重することを必然的に要請するのではないでしょうか。

それは「戒律」そのものではないにしても、戒律に類する生き方の指針をそこから発生させうる「源泉」であり、それを「戒律」として固定化しなかったからこそ、神道の「こころ」は、かえって柔軟で生き生きとした生命力や、時代を超えた普遍性を、保つことができたのかもしれません。
私たちの祖先は、杓子定規な「戒律」にではなく、常に「物語」そのものに立ち返り、戒律に類する指針の「源泉」に直接的にアクセスし、主体的にその「こころ」その「生き方」を再発見し、体得してきたのではないでしょうか。

とすれば……神道をエコロジー的に解釈する人たちも、昔から後を絶ちませんが、そのエコロジー思想も、当然、この「物語」という源泉から、読み取ることができるはずのものではないかと思えます。

斎庭の稲穂の神勅ひとつをとってみても、稲を育てるには豊かな土壌と水が不可欠ですが、表土の流失を防ぎ、豊かな土壌やミネラル豊富な水を育むのは、森林です。しかのみならず、「魚付き林」という言葉があるように、豊かな森に育まれた豊かな川は、豊かな海をも育むでしょう。
伊勢神宮が、一年のサイクルを稲作と共に営んでいることは有名ですが、「傍国(かたくに)の可怜(うまし)国」が、穀物だけではない、鯛や鮑や伊勢海老といった豊富な海の幸にも恵まれていることも、偶然ではないのではないでしょうか。

また、別の例をあげるとすれば、和歌山県の古名は紀州、紀伊国。
これは「木の国」に通じるという説もあるようです。
「木の国」は「根の国」にも通じ、和歌山が「根之堅州國」と同一視されてきたこととも、関係しているのでしょうが、出雲神話において、根の国の王といえば素戔嗚尊です。
この素戔嗚尊には、髭を抜いて撒くと木々が生えたという物語が、「日本書紀」神代巻に収録されており、強いて言うなら、植樹・植林の起源とも言って言えないことはないかもしれません。
実際、万葉集には、
いにしへの 人の植ゑけむ 杉が枝に かすみたなびく 春は来ぬらし
との柿本人麻呂の一首があるそうで、つまり、花を楽しむわけでもなければ、実を食べるわけでもないであろう杉の木を、今から千数百年前の奈良時代の、さらにそのまた「いにしえ」の人々が、わざわざ植えていた、ということになります。人麻呂が詠んだ杉が、防風林か用材の採取が目的か、庭園の庭木だったのか、それは寡聞にしてよく知りませんが、成長に何百年もかかる木々を人の手で植え、育てる、という植林・林業の類が、記紀万葉の時代から行われていたことは、それだけでも驚くべきことのように思います。

高千穂神社宮司・後藤俊彦氏の著書「神と神楽の森に生きる」にも、鎮守の森にふれた記述が、いくつかあったように思います。
「樹のないところに神は住まない」という格言的な考え方を紹介していたのも、この本だったかもしれません。
神社には必ず森がセットでなければならない。というより、むしろ、社をつつむその森こそが本来の「社」とも言えるのかもしれません。
三大神勅と並んで、中臣・忌部の両神祇氏族に下されたのが、侍殿防護の神勅と、そして神籬磐境の神勅だったことを、忘れることはできません。現在のような社殿が形成される以前、神々が宿る依代は、巨石や巨木や、それを象徴的に模したものだったわけです。

巨石や巨木への信仰それ自体は、日本以外の古代信仰にも広く見られる現象ですが、現代にまで途絶えることなくそれを受け継ぎ続けてきた先進国というのは、やはり、異例でしょう。

たとえば古代において、チグリス・ユーフラテス側の岸辺といえば、「肥沃」な三日月地帯と呼ばれていたことは、誰しも聞き覚えがあるでしょう。しかし、現在の中近東といえば、(森林もあるところにはあるのでしょうが)、砂漠や荒野のイメージが強いのではないでしょうか。
また、イスラム教が豚肉食をタブーとしていることは有名ですが、「砂漠の宗教」とも称されるイスラム教の聖典に、本来「森林」に生息するはず(日本で野生の猪の生息地を考えてみてください)の豚が登場するのは、そもそも、なぜなのでしょう?

それらの地域では、畢竟、人間の営みが、豊かで肥沃な自然を破壊したのではないか、と、推測する向きもあるようです。
それが事実であるとすれば、森林を破壊したそれら文明と、森林を育ててきた日本文明の違いとは、いったい何なのでしょうか。
少なくとも、「戒律」を持っている「宗教」が、神道よりもアプリオリに優れているという安易な信念によっては、この差異の説明はつかないように思えるのです。

結局のところ、こちらでも述べた自然崇拝≒生命の源に対する畏敬の念が、「日本のこころ」の中核には息づいており、鎮守の森は神々の棲み処であると同時に、その「こころ」の形象化でもあるのではないでしょうか。そうして、その「こころ」の形のなかに足を踏み入れるとき、私たち自身もその「こころ」に立ち返ることが可能になるのかもしれない……と考えるのは、飛躍した夢想でしょうか?
神と神楽の森に生きる
鎮守の森 (新潮文庫)
水と森の聖地 伊勢神宮 (小学館文庫)
鎮守の森
「鎮守の森」が世界を救う (扶桑社新書)
posted by 蘇芳 at 01:57|  L 「日本のこころ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする