2016年01月24日

【動画】「日本のこころ」 稲穂 (いなほ)

    

日本のこころ」シリーズ。



動画概要:
2013/04/14 に公開
神から授かった稲を育て実りを神に捧げることで、日本人は国を豊かにしました。

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天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった、天上の稲穂

古来、日本は稲作を中心に発展し、瑞々しい稲穂がたわわに実る「瑞穂の国」と称されて­きました。
お米は日本の気候風土でよく育ち、栄養価が高く保存もできるため、日本人にとってはま­さに「命の根」(稲の語源)だったのです。
日本人がいかにお米を大切にしてきたかは、日本の神話からも紐解くことができます。瓊­瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天降(あまくだ)る際、天照大御神(あまてらす­おおみかみ)は天上の田で育てた稲穂を授け、「地上で大切に育て継承しなさい」と命じ­ました(斎庭〈ゆにわ〉の稲穂の神勅)。
つまりお米は、神から授かった聖なる食べ物であるのです。毎年、収穫したお米は神嘗祭­(秋祭り)で神々に捧げられます。託された稲が今年も豊かに稔ったことを奉告し、感謝­の心でお供えするのです。
飽食の時代にあっても、一粒の米に神を感じて感謝する日本人の清らかな心を失いたくな­いものです。

「平成25年秋 第62回 伊勢神宮式年遷宮」
http://www.sengu.info/

Present by 伊勢神宮 式年遷宮広報本部(制作2012年03月)

天孫降臨に際して、瓊瓊杵尊に対して天照大御神から三つの神勅が下されました。
ひとつは天壌無窮の神勅
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ
もうひとつは宝鏡奉斎の神勅
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし
そしてもうひとつが、斎庭の稲穂の神勅
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし
です。

こちらで述べたように、天壌無窮の神勅が日本のコモン・ローの最初の成文化であるとすれば、残る二つの神勅もまた、それと並ぶ意味・価値を持っているはずです。

天壌無窮の神勅が統治にかかわる「法」であるとすれば、
宝鏡奉斎の神勅は祭祀にかかわる「法」であり、
斎庭の稲穂の神勅は生産と勤労≒経済にかかわる「法」でもあるでしょうか。

政治・信仰・経済。
国家の経営にとって必要不可欠の根本、そのすべての始まりに「神勅」があるという観念、それ自体は、他の民族宗教にも類例が見られる伝承かもしれません。
しかし、皇統が125代にわたって連綿と継承され今も現存している(天壌無窮の神勅が守られつづけている)ということは、日本においては、この観念が単なる過去の遺物ではなく、今もなお基本的に失効していないということを意味しているように思われます。

天照大御神を祀る伊勢神宮の祭祀が、稲作を中心に組み立てられていることはよく知られているでしょう。
当然、皇室にとっても稲は特別な意味を持ちます。
大御神にその年の新穀を捧げる新嘗祭は、新帝によって初めて催行されるとき、大嘗祭として、即位儀礼の性格を併せ持ちます。
それは記紀の三大神勅の場面の再演・再現でもあるのかもしれません。

昭和の御代に、天皇陛下御親ら、皇居でのお田植え・お稲刈りをお始めになったことにも、昭和天皇御自身がメディアの前でお答えになった「農民の苦労を知る」というだけにとどまらない、大御心があったものと拝察されます。
皇居での稲作は、今上の御代にも継承されたのみならず、さらにお種蒔きの儀も追加せられて今に至っています。


日本列島 田ごとの早苗 そよぐらむ けふわが君も 御田にいでます(皇后陛下御歌)

昭和から平成へ、この「伝統」もすでに90年になんなんとしています。
大東亜戦争以来の国難のなかでその伝統を守りつづけておいでになった聖上陛下の大御心に、私たち臣下も、深く思いを致すべきではないでしょうか。

三大神勅それ自体はもちろん、その神勅を奉じ、守りつづけてきた歴史のなかにも、大切な「日本のこころ」が息づいています。
もしもその歴史や伝統の尊さが理解できないという人物がいたとすれば、伝統の価値よりもむしろ、その人物の精神の堕落をこそ疑ってみるべきではないのかと……私にはそう思えるのです。
日本は天皇の祈りに守られている
宮中祭祀―連綿と続く天皇の祈り
伊勢神宮 水のいのち、稲のいのち、木のいのち
とこしえの神道―日本人の心の源流
posted by 蘇芳 at 00:40|  L 「日本のこころ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする