2016年01月21日

【動画】万世一系の皇位継承 天皇(一)


初代内閣総理大臣・伊藤博文は、有名なロングインタビューの中で、帝国憲法起草に先立って、諸外国の憲法調査のために外遊した経験を回想しています。
そのなかで、伊藤が真っ先に渡航し、真っ先に語り、最も長く言及している国は、米国でした。伊藤はそこで「ワシントン」「ゼームス・マジソン」「アレキサンドル・ハミルトン」「ジョン・ジェー」『フェデラリスト』といった具体的な人名や書名を列挙しています。
これは、その後に伊藤が渡ったフランスやドイツとは対照的です。欧州に渡ってからは、伊藤の言葉数(ページ数)は一気に少なくなり、具体的な人名や書名もほとんど挙げられなくなります。
これは要するに、憲法制定にあたって、伊藤がもっとも熱心に学んだ憲法思想、法哲学は、米国のものである、ということを端的に示唆してはいないでしょうか。そして、英国から独立した米国における法哲学とは、すなわち英国にルーツを持つものだったのではないでしょうか。
天皇を戴く日本が、英国と類似の立憲君主国を目指したのだとしたら、これは十分に筋が通る話です。

昭和の御代に侍従次長を務めた木下道夫氏は、著書の中で、ドイツ人「ヘルマン・ロレスエル」が考案した憲法草案の一条、
天皇ハ神聖ニシテ不可侵ナル大日本帝国ノ主権者ナリ
から、井上毅が、その後半をごっそりと削除し、
天皇ハ神聖ニシテ不可侵ナリ
と改めた挿話に言及しています。
天皇は「主権者」ではないし、あってはならない、という、井上毅のこの認識は、素朴な愛国者を驚かせるかもしれません。
しかし、これも、やはり英米流の法思想・法哲学から発想すれば、十分に理解できることのように思います。
御親らを立憲君主として厳しく律しておいでになった昭和天皇が、上杉慎吉の天皇主権論ではなく、美濃部達吉の天皇機関説にこそ理解をお示しになったことも、あわせて想起すべきでしょうか。

英米流の法思想とは何か?
端的に言うと、それは、コモン・ロー思想、ということになるのではないでしょうか。

コモンロー思想とは何か?
「法が社会を作るのではない、社会が存在し円滑に運営されているとき、その社会には法があると見なせるのである」
と、格言風に言ってみると、理解が早い気がします。

たとえばフランス革命のときには次から次にいくつも「憲法」が作られては何の役にも立たずに捨てられ、その間延々と延々と殺しあいが続きました.
が、フランス人の血の気がどれほど多かったとしても、さすがに有史以来片時も休まず殺しあいをつづけていたわけではないでしょう。それなりに平和で世の中が上手く回っていた時期もあったはずです。
そして、フランスが平和で世の中が上手くいっていた時代のなかには、「憲法」などというものの存在しなかった時代だってあったはずではないでしょうか。
つまり、社会の円滑な運営や安定的な維持にとって、「成文憲法」の存在は、本質的には、あまり関係がない、といえそうです。
どんなご立派な作文であっても、社会の構成員によって尊重されなければ、単なる空文・空念仏・絵に描いた餅に終わるのですから。

しかしまた、社会を円滑に運営し安定的に維持するためには、何らかの「ルール」「コード」は、やはり必要であり、現に上手く行っている社会には何らかのルールが存在するはずだ、とも想定することができます。
「成文法」の不在は直ちに「無法状態」を意味するわけではなく、「無法」でないならば「有法」であるはずです。たとえその「法」がいまだ成文化されていなかったとしても、目に見えない「何か」が「法」としての機能を果たしている……
それはいったい何かといえば、その社会の「生活」の根本にある「慣習」とか「しきたり」とか「伝統」とかいうものではないでしょうか。
それら目に見えない社会の「ルール」に合致しないかぎり、いかなるご立派な「法」も現実問題として機能しえず、事実において「無効」な空文にすぎない。裏を返せば、制定される「法」が事実において「有効」であるためには、先行するこの不文の「法」を尊重し、その「法」に合致するように制定されなければならない、ということになりそうです。

この成文法以前に現存する不文の「法」を、英米思想では「コモン・ロー」と呼ぶようです。

この「コモン・ロー思想」が、事実を上手く説明しているとすれば、王様を殺したとたん、どんな「憲法」を作っても治まらなかったフランスが、皇帝が出現したとたん一気にまとまった、という事実において、フランス本来のコモンローは君主制をこそ志向していた、ということになるのではないかと思われ……革命の熱病に冒され王殺しに走ったフランスはずいぶんと愚かなことをしたということになるようです。
実際、ルソーやデカルトの狂気は、やがてマルクスやレーニンに継承され、フランス革命の二番煎じによって誕生したソビエトロシアが、20世紀の人類にどれほどの惨害をもたらしたかを思えば、この文脈を疑う必要はなさそうです。

で、あるならば……

当然、日本においても、帝国憲法だろうと武家諸法度だろうと律令格式だろうと十七条憲法だろうと、それが「法」として上手く機能していたとするならば、それは、それらが日本のコモンローを踏まえ、合致していたからである、ということになるのではないでしょうか。
たとえそれら成文法の多くが、形式的には外国制度の模倣に見えたとしても、実際は、それを日本の伝統に合うように咀嚼する努力が必ずなされていたはずです。
史上、もっとも日本のコモンローから逸脱した日本の「法」といえば、ほかでもない現行占領憲法ですが、それすらも不完全ながら「トゲを抜く作業」を経ていますし、「解釈改憲」をくりかえしています(そろそろ限界だと思いますが)。

では、それら歴代の日本の成文法に共通した、精神・伝統の支柱、日本のコモン・ローとは、何であり、どのようなものなのか?
何しろ、成文化される以前の不文の「法」というのですから、それそのものをズバリ取りだすわけにもいきませんが、コモン・ローの成文化の最古の試みについては、今でも、はっきりと文書として現存し、私たちはいつでもそれを読むことができるのではないでしょうか。
すなわち、「古事記」であり「日本書紀」です。
そこには、はっきりと、こう書かれているではありませんか。
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。



動画概要:
2013/09/19 に公開
日本人なら本来は知っているはずの、天皇についてのこと。
日本は非常に特殊な国である。
日本が世界で一番古い国であり、古くから伝わる伝統文化に接する事が出来るのも、
ぶれない軸「皇室」と共に時代を歩んで来たからこそ。
いつの時代も、日本人の努力によってそれを維持し続けてきた。
特殊過ぎて、世界史と比べる事が難しいかもしれないが、日本だけの価値観を日本人がし­っかり持っておけばいい。

「神勅」とは、すなわち「神の勅命」です。
それは「命令」なのでしょう。
その「命令」の、別の成文化の例をあげるなら、大祓詞の、
我が皇御孫命は豊葦原瑞穂国を安国と平けく知食せと事依さし奉りき
という一節が、端的で理解しやすいのではないでしょうか。

安国と平らけくしろしめせ……

御歴代の天皇は、この「命令」に服従する「義務」を負いたまい、履行せられています。
すなわち、日本の天皇は、自分一個人の欲望の赴くままに、国家や国民をほしいままに弄ぶ「権利」など、最初から有しておいでにならない。
天皇が負いたまい、引き受けておいでになるのは、あくまでも、国家や国民を平和に安らかに統治し給う神聖な「義務」以外の何物でもありません。
そして、日本の歴史は、時局の趨勢はあれ、その天皇の「義務」については、一貫して事実であったことを示す史実を、無数に提供しているのではないでしょうか。

井上毅が、専制ドイツ帝国流の「主権者」を否定したことの意味を、私たちはしっかりと受け止める必要がありそうです。官僚的言葉遊びに終始せず、虚心に向き合えば、おそらくそこにもまた、決して忘れてはならない「日本のこころ」を見つけることができるのではないでしょうか。
日本は天皇の祈りに守られている
伊藤博文直話 (新人物文庫)
宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして
新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき
正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒
posted by 蘇芳 at 01:26|  L 「万世一系の皇位継承」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする